昔書いたもの

 

 誰かが指先に引っ掛けて遊んでた透明の風船を、針でつついて穴をあけた。割る直前まで息を殺したおもちゃたちがいなくなるとみんなそれぞれの持ち場に向かって無秩序な隊列を組み始め、ふわふわ頭の上の空間が全部彼らだったことを教えてくれるので僕も頭の中を整理しないではいられなくなる。組み立て直す場所だけを決めて頭を空にして何度でもばらばらにした。屋根を鳴らして夜空に投げかける星座の中で息をする白鳥にプテラノドンは問いかけるために激しく羽ばたく。照り返す三日月と向き合えば地球の丸みが分かってとても心地いいだろうし、そうやって大きな目になるまで一四〇億年も続けたらいいよなんて言うけどそんなの僕にはぜんぜん暇じゃない。

 

 疲れることばっかりだし食べ物がないなら体にだって栄養は入ってこない。気持ちよりも速さが問題になってここで待っていてくれるらしいので、小さな真珠色の光がひとつ近づいてきてそっとぼくの上におりてきたら運ぶための錨になってしまうだろう。そのすきまをぺろんと指で掻きながら屋根を伝って道を辿ってどこかへ行きたかったのだけれど、そこにもやっぱりプラスチックや金属の遊園地があるから鉄板を敷いた坂道で、自転車と競争すると体は転がるのに綿菓子が作れるくらいに大きなおかしのお城が見えるからだんだん遠ざかりたくてやっぱりゆっくり転がっておく。また首を伸ばすように指をゆるく開いてみると、風に舞っていた旗がいくつも音もなく近づいてきて次々と通り過ぎていって、紐を引いたみたいに急にどすんと体が重くなるので目についた明るい光をひとつだけむしりとるとそこらじゅう真っ暗になる。この懐かしい重さも遠ざかっていく感触があんまり惜しくて子供のようにぼくは叫んだ。

 

 下の方が熱くなって、足の裏を空に付けていたから靴が溶けてしまった。はじめてそこに現れた扉は小さな雪の粒がいくつも連結したような扉だった。ふさふさした長い毛に覆われた十頭の馬に両脇を守られた灰色の髪が血を吸い上げて、その前にはバス型の机があって旅行鞄とその中身とおみやげのようなものが乗っかっているので面白い。トランクの上には頭の丸さのせいで落ちていないお面が乗っかっていて彼はその口をすぼめているみたいに尖らせている。馬たちは並んで二本足になってしまいそして、それがバスだから下を見ると手があることに気がついた。自分の両足首も同じ色をしていてそこにまた水が入ってしまったことをすっかり忘れていたから、心の準備なしに骨まで冷やされてしまう。両足を静かにして遠く眺めて楽しんでみる。目が慣れてくるとそれは街明かりだということに気がつき、近づいて来るほど外灯の数は減っていってそれに連れて宇宙に似た空はますます澄んで見える。雲をむやみに突き抜けてゆく先を見ていると、しんとした静けさの方が頼もしかった。ずっと深いところにも明かりがある。そのうちの一つに向かって街は動くようになって、街の後ろを包み込んでいた雲の流れが変わると海へ吹き付ける風の音がする。水面が一瞬目に入ってすぐ消えてしまうからそれは暗い色の鏡なのだと思うのだけれど、次に見たときにはその黒いのは錯覚だったかのように消えてなくなり灰色に見える月がいたるところに飾られる夜がやってくる。僕は地球に戻ってきたら無重力だったので宇宙服を着なければならないと思っていたのに、ここには宙に浮かぶ島もなくその外を波と星の海が支配していて、もちろん僕はずっと何も着ていないままでそこに立ち尽くして月を見上げている。頭が着地するとあふれた水が背骨を伝って足元へ吸い込まれていく。気持ちいい揺れには違いないけれどこのまま粘度が高くなって浜辺にくっついて取れなくなっても困るから、風と一緒に波を追って背中を向けたまま歩き出した。のっぽの木は水底まで透けて見えるような淡い緑色で点々と連なり空を目指す階段のようでさえあったが浅瀬をちょっと歩き回ると木はすぐに折れてしまって、つまり生えている場所が浅すぎただけなのだった。地面から長い首をはみ出させている草むらを踏み分けながら進むのも散歩のようだったし、乾いた砂浜に波が乗り上げたら立ち上がって見回すと誰もいないのでここは全部自分の場所だということにする。遠くで何かの仕掛けが動き続ける音がしていた。誰がどうやって動かしていたのか見当がつかない。

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 休学するから大学の学務課に書類を受け取りに行って、事務的な手続きの様々を聞いた後にカウンセリングの先生に大学の相談室を案内してもらった。相談室は透明な香りがして、カウンセリングの先生は3年前に少しだけ話したことがあった。自分の今のことを少し話した。また近いうちにもう一度会う。自分の状態が一番ひどかったころのことをほとんど覚えていない。あの時の自分がこの自分と同じなのかわからない。いつまでも現実感が持てないままいるけれど、今自分が纏っているこの身体は、ひとまず過去の自分と似通った挙動を上演している。その重たさにずっとうんざりし続けながら、けれどそれが一つ救いになっているところもある。「俳優」という身体の使用法があること、それがあまりにも広く当たり前の技術として流通していることについて少し考えてみようと思った。書きかけの戯曲の続きは、その思考の中で書かれるようになると思う。

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 理由はわからないけれど、久しぶりに何かに怒れるようになってきた気がする。あまりにいろんなことがどうでもよくなったり、あきらめてしまったりしがちだから怒れるような気がしてうれしかったのだけれど、幸か不幸か起こる対象がまだ見つかっていないし、それを自分から探しに行くほどばかでもない。怒りとか、愛情とか、それらは何かをあきらめないこととつながっていると思っていて、きっとそれを少しずつ自分に許せるようになってきているのかもしれない。それと最近夢を見なくなった。ほとんど毎日見る時期もあったからとても不思議な感覚だし、夢を見たのに忘れただけかもしれないし、この全部が夢だったら面白いなと思う。夢の中でしか会えない人たちがいた。今は舞台裏で休んでるのかな。