こわいゲームがだいきらい

ぶくぶくする目が排水口に流れてしまいます。石けん水を飲みすぎたことへの、ひとつの罰になっている。手足の先を少し削られてできた手ざわりはこの家の形を曲げてしまうのでお風呂場から台所まで山を登ります。冷蔵庫の牛乳で目を洗うには、そこからふたつ先の街で、長い手続きを済ませて、門番に冷蔵庫を開いてもらわないといけない。悲しさつらさを誰かに渡すための涙も今は流れないからもっと強くなろうと思います。そのように歩く。ラジオからは迷子になったひとを助ける報せが流れている。周波数を合わせると歌が聞こえる。子どもの声。決められた音程でハーモニーをつける。教えられたからそれを誰もが知っていて懐かしい。歌っている間にかつて見えていたものを思い出す。石、ありの群れ、赤い花、川を隔てて県境を跨ぐ橋、雲。この身体からちぎれた、そのいくつかの景色を不確かにつなげていく。私はあそこで笑った。あそこに花が咲いていた。かつてここに私がいた。ここはかつて歩いた道だ。思い出す方へと歩きます。行くべき道が分かってきます。そこには石があり、赤い花が咲いて、川を隔てて向こうはお風呂場、ここは台所の橋が虹と一緒にかかっている。そのように歩く。もう手足も内蔵もかつてとは違うバラバラで歩くこの景色を、いつかきっと私は思い出しながらここを歩く、そのいつかの私が今の私に向ける言葉を今ここで声に出してみるとそれは歌でした。子どもの声がついてきます。ここで笑っています。ここに花が咲いています。ここに今、目を失った私は思い出たちを束ねながらあらゆる一瞬より私でした。冷蔵庫を開けて取り出した牛乳を飲みます。Twitterのタイムラインを見ると人が銃に撃たれて死ぬ瞬間の映像が流れてくる。