Astra

押し込めた景色は青黒く擦れたような質感が見ているだけで指先に伝わった。形の組み替えがうまくいかなくて、悲しくて涙が出る気分を象りながら繊維みたいに絡まった結晶を見ているともっと悲しくなった。真っ直ぐに歩くだけで迷子になれる人は生まれつき魂が曲がってしまう病気かもしれないと、昔のとても偉くて賢い人が話したのを聞いたことがある。初めの瞬間から心が千切れて、縫い合わせることもできなかった人は「きっとこれが自分だね、ここに自分がいたね」と懐かしく思い出せるような欠片を拾い集めるだけで長い時間を費やしてしまうから一生では時間が足りないし見えなくなったものにまた出会えると信じられない。だからそんな人たちは迷子になって街をさまよってしまう。どれだけ親しんだ場所も、たとえ自分の家ですら、それが新しい場所として上書きされてしまう。割り振られた身体で一番早く探し物をするためにはでたらめな星座を編んで、結んだ線を辿る軌道で街を歩くのが一番良いということになっている。作った星座はたとえでたらめな線の連なりであっても、さそり座にとってのさそりのようにかつて本当だった自分の姿を示す形をしていると信じられている。それがこの場の一つのおまじないだった。

幹線道路の真ん中に太陽系からは遥かに遠い星の表面を重ねながら忘れた自分の断片を探している。ここは昔から僕の遊び場だったから宙に浮かんでほんの少し高いところから落とし物がないか確かめることができる。重力の激しい入れ替えを遊ぶなら羽のない生き物だって自在に飛ぶことができるから、そのような身振りを知るものにとって、遊び場とは無秩序に散らばった重力の呼び方のことだった。ここで飛び回ったいくつかの時間の重さをまだ僕は抱えている。そのことをまだ思い出せる。縁石の側に小さな靴が片方だけ置き去りにされているのを見た。生まれたての赤ちゃんが履くための大きさだった。この足の大きさで歩きたいと思った。歩きたての不確かさを教える靴の小ささに引き寄せられて一歩ごとがバラバラな歩幅になってしまう。足は鳩や蟻やティラノサウルスとおしゃべりをして、時々歩くことを思い出している。振り解き難い拙さのまま都度の重力に流される身体は向かう先が分からないでいる。靴紐を結び直す遥かな時間を待つ人はきっと、近くのどんな星の上にもいない。